先日、報告しておりました通り、日曜日に篠山ABCマラソンに参加してきました!
足のケガもあってどうなることやらと思っておりましたが、
結果は・・・
4時間37分で無事に完走!
よかったよかった。
これまで走ったことのある最長の距離が30km。しかも木曜に走ったばっかりなのでほぼ直前。
ちなみに、丹波に来るまでの5年間程、だいたい毎週一回、10kmは走るようにしてました。
目的ははっきりしていて、『余分な肉をつけない』こと。社会人になってからというもの、何もしなかったら肉がつくという体になってきたことが背景。
この『余分な肉』というのは筋肉もそうで、ハードに鍛え上げてしまうと日常生活に不要な筋肉までつけてしまい、さらにその余分な筋肉を維持するためにさらなる運動と余分に食べることが必要で。
そこまではいらないんです、という具合で。
なので、週一回。それ以上は不要。そんなこんなを5年。
およそマラソンに向けて準備してきた訳ではなく。結局、結果としてこの一週間で急ピッチで合わせてきたという感じでしたが、なんとかなるもんですね。
初めて30km走った先日、じっくりと自分の走り方について客観的に見ていて、感じたことは以下。
◆普段はいつも10km、それを30km走るとなると、ペースをそこに合わせようと勝手になる
⇒普段なら調子よかったらスピードを上げるけどそれをしなかった(まだまだ先があるからという感じ)
◆身体があったまってくるまでに5kmは必要
⇒汗はすぐかき始めるけど体が軽くなるまでになるのに5kmはいる
◆鼻で息していられる余裕があるのは20kmまで
⇒呼吸器関連の耐久はどうやら20kmまで
◆右足の指のケガが痛み始めると左足の親指が負担を始める
⇒走る際のバランスのとり方の軌道修正が必要
◆途中から靴ひもの締まり方がきつく感じ始める
⇒足がむくみ始めるからかきつくしばっておくとやばいことになる予感
◆20km超えてくるとかいた汗が作用して逆に体が冷え始める
⇒当日さぶかった場合薄着で走ると危険(後半歩くと体温の奪われ方がきつい)
◆20km超えてくるとふとももをあまりあげなくなり腕の力も借り始める
⇒最初から腕を大きく振るようにして足への負担を分散しておくべき
◆20km超えてくると喉の奥が痛い
⇒気温の低さが原因ぽい。こまめな給水が必要。
◆20km超えてくると急激にお腹が空いてくる
⇒体内のエネルギーが枯渇してくる感覚。補給が必要。
◆右足のケガが痛み始めると、何をどうしても無理
⇒早歩きしても止まって屈伸してもストレッチしても無駄=いっそのこと感覚失うまで止まらずに前へ進むべき
◆ふとももがつりかけたら立ち止まって屈伸した方が治りが早い
⇒結果的にそっちの方がタイムがよさげ
◆一旦歩くともう再度走り始めても長続きしなくなる
⇒できるだけ走りきることが必要
◆25km超えてくると腰と尻が痛くなる
⇒マラソンは全身運動であることを悟る。上半身と腰回りのストレッチも必要
◆30km地点を迎えた際、ふっと楽に走り始められる兆しを感じる
⇒ランナーズハイというやつか?
等々、こういった感じで。
この日、15km時点で右足の指が痛み初めて、20km地点くらいからほぼ歩いて30kmで3時間半という結果。
普通に走っている間は大体時速10km程度、早歩きでは時速6.8kmという計算。つまり、この日のペースでは残り12.195kmを早歩き+死力を尽くした激走でギリギリ5時間きれるかどうかという瀬戸際ライン。
マラソンのアプリによると、2000Kcal消費しているという。本当かどうか定かではないが、本当ならば相当なカロリーを消費していることになる。
なので、前日はしっかりとご飯を三食食べ、当日を迎え。
当日の朝、7:30起床。
前日につくったカレーを山盛り食べ、準備してたら8:30。
急いで前日にもらった痛み止めの飲み薬を飲み、大会のプログラムを見て、駐車場の場所を確認し篠山城跡へとりあえず向かい、警備員に駐車場の場所を伺うともう河川敷にしかないですと言われ河川敷へいき、車を停めたのが9:30。エントリーは10:00までとなっている。危険。
受付まで向かう途中は少しでもカロリーをとっておこうと思い、ウイダーインゼリーを2つ食べる。おまけにここでまだ足の指が痛いまんまだったので、ご法度の、もう一度痛み止めの飲み薬を飲む。
あわてて受付を済ませたのが10時ギリギリ、もらったゼッケンを急いでつけて荷物を預け、トイレにいって、ここで前日にもらった痛み止めの薬のうち座薬を使うか否かを考え。
足首を軽く爪先立ちしてみてくりくりと回してみたら当然のごとく痛かったので躊躇することなく座薬を投入、トイレから出るともう10:30。
スタートは10:50だったのでほぼストレッチ皆無でランナー待機場所へ移動。スタートの合図が鳴ったあとも微動だにしない時間が流れ、スタートラインを割ったのが11時過ぎ、その待ち時間で体がキンキンに冷えた状態で走り始めた。準備不足も甚だしい。
先日の30km走を踏まえ、今回の理想を考えていた。
ざっくりとした計画としては以下。
◆30km地点まで可能な限り全力疾走して、3時間で切り抜けたらあとは歩いてもなんとかいける
⇒12.195kmを2時間かけて早歩きすれば達成
◆最初の5kmはあせらない
⇒体をあっためるのが先決
◆さぶそうなので体温を奪われないようにする
⇒上はトレーナー着といた
◆水分はこまめに補給
⇒前給水ポイントは多くを飲まずとも立ち寄る
◆右足のケガが痛みだしたら無視する
⇒考えるだけ無駄
◆足がつりそうになった場合は問答無用で屈伸
⇒急がば回れ
◆後半戦急激に腹が減る
⇒後半は沿道の支援(飴・チョコ・しし汁等)をもれなく頂く
こういった感じでスタート。
最初の10kmは一瞬で過ぎ、50分強で通過。足もそこまで痛くない。いけるんちゃうか?!と胸が高鳴ったがペースはマイペースを維持した。
が、
予期せぬ事態が発生。間違いなく座薬のせいでお腹が痛い。完全に盲点。
落ち着いて考えれば当然で、そんなに直前に投入すると、溶けるまでの間、穴が防がれているのもあり、また薬の多量投与のせいでお腹の調子も悪くなるもの。そしてこれは副作用かと思うが利尿作用も間違いなくあったんじゃないかと思うほど頻繁に尿意があり、前レース中、恐らく5~6回は用をたしたと思われる。
結果的に大きな用は足さずに済んだが、ずっとお腹も痛い状態で完走。レース前の薬はやはり避けるのが望ましいもんで。
あと、おまけにこのあたりで大変なことに気付いた。
マラソンのレースには、上り坂があることに。一切下見をしてこなかったので完全に盲点。ここ最近ずっと平坦な道しか走ってこなかったことに少し後悔する。
20km通過。1時間45分ぐらいで通過。ハーフマラソンってこんな楽勝なんやと思ったくらい一瞬。20kmを走るレースと、40km走るレースでの、体感時間の差。
順調すぎてこのままいけば4時間も切れるんじゃないか?と思った直後、きた。右足の痛み。しかも強烈に。
『薬が切れたか』
と、頭をよぎった瞬間、かなり焦りを感じて冷や汗でたが、事前の30km走で出した結論通り、無視して普通に走るという選択をし、普通に走り続ける。でも半端なく痛くて、しかも今回は右足の人差し指から伸びる靭帯がピンピンに引っ張られて、いつブチンといくかわからんような感覚。でも、無視。
それでも痛みは治まらず、今度はストレッチ皆無の太ももがパンパンになってきてつりかけたので仕方なく25km地点くらいから一旦歩く。
ここからやはり、復帰が難しくなり、ほぼ歩いた状態で必死に間走ってみたりしながらなんとか30km通過。やはりさむさで歩くと体が冷えて動かなくなっていく。でも走り出せないジレンマ。
この時点で2時間58分くらい。完走までのシナリオ通りここまできた。
最大の難所ととらえていた、32km地点の閉鎖関門があり、そこをなんとか20分前程に滑り込めて。
その安堵で体の緊張がほぐれたのか、少し走れるようになり、休み休みまた走り出す。35km地点。完走は確実っぽい。立ち止まらない限り。
『もう、まじ限界』
そう思ってがっつり歩き始める。篠山ののどかな風景を見ながら歩く。
篠山は素敵なところだ。手前は延々と田んぼ。向こうには山。目の前には道路しかない。そんなルート。
でも寒い。しかもしっかりと寒い。このまま歩くと危険なので、寒さが芯に達しそうな手前でまた走り出し、体を温める。沿道で出されるしし汁がこれほどうまく感じたことはない。チーズ煎餅ですら、これは世界で一番うまい食べ物だと思った。真剣にそう思った。
37km地点。
ここにきてあと5kmが遠い。歩いてもいける。わかってる、わかってるけど遠いあと5km。
大きく振っていた腕も筋肉痛に。42.195km走るには、42.195km走る間振れ続けれる腕力もいることを悟った。下半身と上半身の、気持ちと行動のズレがあらわになる。それでもしっかり序盤から引きずってる副作用でばっちりトイレに駆け込んだりする。
40km地点。あと2km。たった2km。もうまじで走れない。歩くしかない。ださすぎる自分の姿を誰にも見られたくない気持ちでいっぱいになる。
41km地点。周囲ではラストスパート。それにつられて、と、全くいかない。冗談半分でいってた『最後は匍匐前進で』を実行しようか真剣に悩むくらい走れない。
残り500m。せめて最後だけはと意地で走りはじめ、無事にゴール。4時間37分でした。
あまりのしんどさに、ゴールした本当に直後、『もうええわ、一刻も早く家に帰りたい』という気持ちになり、一時も停まらずにそのまま歩いて記念のメダルを首にかけてもらい、出口へ。
ここで初めて、個人の計測の為に靴に何かチップみたいなものを皆つけていて回収されてたことに気づき、そんなものの存在しらんし!という感じで荷物を受け取り河川敷までひょこひょこ歩いて車に乗り帰宅。
自分の中で、マラソンが走り切れるのは30歳が限界と思っていた。
小学校3年から高校3年までの間ずっとバスケをしてたが、中一の頃に実家近くの病院で『井口君の体は運動に向いてない』と宣告され、その宣告通り中学も高校も頻繁にケガをして。
高校を卒業するころには体のあちこちに爆弾を抱えていたので大学はクラブに入るのはやめ、でも自分の老後、歩けなくなるのは嫌なのでせめて根幹的なところは鍛えておこうという気持ちもあって始めたランニング。
持久力のなさは昔から自他共に認めるところで、体力の全盛期であるはずの高校生活においても、50m走は学年の中でも早い方に分類されるのに、100m走になると下から数えた方が早いってくらい、持久力がなく。それでもランニングを続けることで、苦手やった持久走が、5km、10kmと走れるようになり。
それでもやっぱり体力の衰えというのを30歳に近づいてきた頃に感じはじめ。毎週走ってるはずなのに、しんどくなってきたりしてた。同じことを繰り返しているだけだと、衰え始めるという事実。より負荷を与えないと維持できないような体質へと変化していく自分の体。
そもそも、持久走が嫌いな自分が、ようやく10km程も走れるようになって、微塵も興味もなかったし走ろうとも思わなかったマラソン。しかし30歳の今、走らなかったらもう今後の人生において走ることはきっとないやろうと。
じゃあ、ここで走らなかったら、マラソンを走ったことがある人にしか見えない光景ってのは、もう今生では拝めないのか?と。
じゃあ、走ろう、今、このタイミングで走ろう、と。
そう思って走った今回。
結果としては、
もう、
次、マラソン走るのは来世でいいです・・・w
応援してくださった皆様、ありがとうございました!!