●丹波市が集中豪雨で被災→ボランティア活動を始めました
こんにちは、村長です。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、8月16日から17日にかけての集中豪雨で、丹波市は北東部を中心に、土砂崩れ135か所、倒壊家屋53棟、床上床下浸水1171棟、さらに死傷者までが出るという、丹波市始まって以来の大惨事となってしまいました。
(データは8月21日付の丹波新聞より)
私たちの会社や住まいのある丹波市山南町は丹波市の中でも最南端で、今回の集中豪雨による被害はございませんでした。ご心配くださったお客様、友人の皆様、メールで安否確認をしていただくなど、お心遣いありがとうございました。
さて、地域の課題を解決することを目的に活動している「株式会社みんなの村」「株式会社みんなの家」ですから、同じ丹波市内で発生したこの災害には、災害発生直後から復興に向けて動き始めました。全体からみると、ほんっと微々たるものですが。。。
まず、ボランティアの方のためにシェアハウス「みんなの家」を無料開放しました。ホテルや民宿に泊まり、宿泊料がかかり続けると、被災地に滞在すればするほど資金ショートが早まるため、長期間のボランティア活動が難しくなります。実際私が東北のボランティアに参加した時は、その出費が痛手でした。そこでみんなの家ではボランティアで丹波に来られた方には無料で宿泊していただけるようにし、経済的な負担が少ない状態でボランティア活動に従事してもらえるようにしました。
また、独自にボランティアを呼びかけました。社会福祉協議会や行政が出しているボランティアの募集を見て一歩踏み出せる人と、個人的なつながりがあって一歩踏み出せる人と。世の中には当然ながら、いろんな人がいらっしゃいます。そこで、自分たちの繋がりの中でもボランティアの募集をしました。
その甲斐あってか、この1週間でのべ40人ほどの友人知人がみんなの家を経由してボランティア活動をしてくれました。本当に感謝、感謝です。みんな、ありがとう!
今回は、そうした活動の中で感じたことをブログに綴ろうと思います。
●ボランティアとして支援する側から見える景色
今回の災害では、裏山からの土石流で家屋ごと流されてしまったり、家屋は残っても一階がまるごと土砂に飲まれたりする家屋が多くありました。その中の一軒の泥かき活動がなされていた時でした。
一階の全てが土砂にまみれたその家屋は、25年もの間、自営で経営されていたお店だったようですが、今回の被災によって、そのお店を畳むことを決意されたようです。
泥だらけになったお店の資材が、ボランティアの手によって外に運び出され、市外から応援に駆けつけてくれたゴミ収集車に投入されていきます。
活動に従事している人たちは、だんだんその作業に慣れてくると、テンポよく掛け声をかけながら資材を運び出したり、泥を掻き出します。
肉体的にもしんどい作業ですから、声をかけながらの作業は、ケガの防止にもなるだろうし、効率も良くなるだろうし。
時として、その場には活気があふれていました。
●ボランティアに支援される側から見える景色
ふと、外を見るとそのお店の母娘とみられる女性が二人立っておられました。
ゴミ収集車に投入されるプラスティック製の資材はバキバキと、ガラス製の資材はガシャンガシャンと音を立ててゴミと化していきます。
「25年頑張ってきたのにね。。。」
どちらかがポツリとそうこぼすと、母娘とも汗交じりの涙を汚れたタオルで拭いておられました。
胸が詰まる思いです。
ふと、我がごとに考えました。
うちの社屋が流され、事業を畳むことになったら、明日からどうやって稼いでいくんだろう。社屋だけじゃない、家まで流されたら、明日からどこで寝るんだろう。
あの母娘がどんな思いでおられたのかはわかりません。少なくとも、被災した家屋がきれいになっていくことを望んでボランティアを要請してらっしゃるとは思います。
だけど、被災者がそういった精神状態の中で、例えばあの掛け声を出しながらの作業というのが、あの現場にふさわしかったのかどうか。悪意は全くないし、そこに居たボランティアの方々を責めているわけでは全くありません。
ただ、そのボランティアの振舞によっては、複雑に心が傷つくこともあるのだろうな、と感じました。これまでいろんなボランティア活動に携わってきましたが、まだまだ視野の狭い私が居ました。
念のため断っておきますが、その現場で作業していた人たちはみんな、元気で、朗らかで、明るくて、優しくて、いい人ばかりです。
●ボランティア活動って、相手の心に寄り添うことだと思う
被災者は精神的に疲れています。
だから、日常生活を普通に送っている人に対してなら問題にならないことであったとしても、それが被災者に対して受け入れられるとは限りません。ちょっとした一言で傷つきやすい、ちょっとした行動で腹が立ちやすい。余裕がなくなるから、当たり前のことです。
先に述べた25年間お店を営業してこられた母娘の姿から感じたことですが、このタイミングのボランティアって、究極のところ、相手の心に寄り添うことなんじゃないかと。向き合うことでもなく、寄り添うこと。できるだけ、同じ方向を向けるようにすること。
そうなると、ボランティア活動の主導権は被災者にあるはずです。
だって、被災者が向いている方向に自らを向けていくわけですから。
被災者の心に寄り添い、思いを聞いた結果、家の中に溜まった泥をかき出すという手段を選んでいるはずで、本来的には。
仮に、ボランティアセンターから
「あなたたちのグループは泥かきをやってきてください」
と言われたとしても、主目的が「被災者の心に寄り添う」であったならば、勝手にズカズカと家の中に入っていくのではなくて、
「この部屋に入ってもいいですか?」
「泥の中から写真が出てきたんですが、これは取っておいた方がいいですよね?」
という声掛けができるだろうと思うわけです。
そんなことを申している私だって、そこまではできてないんですがね。
先日、みんなの家に炊き出しの依頼がきました。
「この集落は高齢者が多いから、和風の味付けの方がええかな。」
「消化の良い具材を多めに入れとこか。」
と、被災者に気を配りながらメンバーとメニューを考えました。そして、良かれと思って摩り下ろしの生姜を隠し味的に入れたのですが、ある地元の方が、
「このへんの人は豚汁には生姜を入れんのや。」
とおっしゃいました。その方が周囲の被災者に確認したところ、やはり全員が生姜は入れないとのこと。
「しまった・・・。これで口に合わんかったら、何のために炊き出ししたんかわからんぞ・・・」
幸いにも生姜の入った豚汁でも「美味しい」と食べていただけましたが(ホッ)、むしろ、これまでの豚汁よりも美味しいとおっしゃっていただけましたが(ホッ)、そうした配慮の一つひとつが求められているんだと痛感しました。
とにかく、言われた作業内容を黙々とこなしていい汗をかくだけ、というのは、下手するとただの自己満足になっているかもしれないということです。ボランティアで泥だらけになってるオレ、カッコいいじゃん! こんだけ炊き出しを振る舞うことができたオレ、見直したぜ! みたいな。
もちろんそうやって行動している分、何もしないよりかは良いかもしれませんが、もっと高望みするならば、被災者の心に寄り添いながら、どんな作業手順がいいのか、どんな声をかけながらやればいいのか、と考えながら活動できれば、お互いがもっと幸せな気分になれると思うのです。
仮に、そうして声を拾っていった結果、被災者と考えが割れたとしても、一旦は寄り添って欲しい。被災してから間もない頃なんて、被災者はなかなか気持ちの整理がつかず、合理的じゃない要望を出すことだってあると思います。だけど、まずそれに反発するんじゃなくて、一旦は寄り添う。それから、ちょっと時間をかけて一緒に方向修正できるように提案できれば尚のこといい。
最終的に、合理的じゃない作業に労力を費やすことになっても、ある程度はそれでいいんじゃなかろうかと思うわけです、個人的には。これには賛否両論あるでしょうけど。それくらい、寄り添うスタンスがあった方がいいと思っています。
●こんなボランティアな人は、ちょっと改めてほしいかな
この1週間、多くの被災者やボランティアと密に関わり、いろんな人に出会いました。その中で、個人的にこれは残念やな、と思う人たちも居ました。一緒に活動している友人から伝聞した分も含めて、こんなボランティアな人たち。
【被災現場にて】
・避難所にドカドカ入り込んで、キレイに掃除した床に泥を落としていく人
・「この作業、絶対楽しいやつやん」と被災者の前で無邪気に言い放つ人
・こんなのは私がしたい作業じゃない、と依頼を受けた内容に文句を言う人
・被災地で楽しそうに写真を撮る人
これらのことをしたボランティアたちは、そこに悪意があるのかどうかは知りません。でも、仮に悪意が無いにしても、配慮が無さすぎじゃなかろうかと思うわけです。先に述べたように、被災者は精神的余裕を失いがちです。だからこそ、言動には本当に注意して欲しい。
また、直接的な被災者に対しての言動でなかったにしても、以下のような言動は嫌いです。
【事前準備や宿舎にて】
・交通費は出ないんですか?と聞く人
・禁煙スペースで喫煙する人
・作業後の泥を落とすことなく、床を汚す状態で温泉旅館に入り込む人
悪いとは言いませんが、個人的には嫌いです。正直ヒヤヒヤします。人は根本の思いや考え方によって、ある一定の言動が表出してくるので、私はこれらの言動は氷山の一角だと思っています。だから、これらの人が被災地に行った時、一体どんな振舞をするのだろうかと思うと、ヒヤヒヤしてしまうんです。
それもあって、みんなの家に来てくれたボランティアの皆さんには、被災地までの送迎の道中で、私が望んでいるボランティアの姿のようなものを伝えるようにしています。何が正しいとか間違ってるとかは無いかと思いますが、私が望んでいる姿だけは伝えておこうかと。最近は元気のいい大学生がたくさん来てくれていて、彼らの大半は「ナルホド・・・」と深く頷いてくれるので、その度にこのオッサンは喜んでいます。
●ボランティア活動に精神的な余裕が無くなってきたら、一度離れるという決断も
非日常が日常となった時、人は精神的余裕を失います。被災者は今、そういう状況です。またそれは、被災者だけに当てはまるものではありません。ボランティアだってそうです。
以前、東北のボランティアに行っている時の出来事。
震災が起きた翌4月に現地で知り合ったボランティアのAさん。震災直後から現地入りして、とても精力的に活動されていました。Aさんは長期的に活動するため、資金面を考慮して、昼間はボランティア活動をしながら、夜は居酒屋に住み込んでアルバイトをするというハードな生活を送っていました。
私は丹波での仕事もあるので、東北での活動を数日のみで一旦打ち切り、また近々やって来ることをAさんに誓い、一旦東北を離れました。そして7月にまた東北に行った時、久しぶりの再会を果たしたのですが、4月の彼とは別人のような振舞でした。
居酒屋で再開した彼の口から出てくるのは、なんと地元の被災者への不平不満でした。
「俺たちはこうしてボランティアで毎日汗を流しているのに、地元の人間は犬の散歩なんかしてるんだ!」
そりゃ被災者だって早く日常を取り戻したいだろうに、まさか彼の口からそんな言葉が出てくるとは、と驚いていると、近くの席に座っておられた被災者がそれを聞いて一触即発の雰囲気になりました。そこはなんとか間に入って事なきを得ましたが、4月のAさんだったら、仮に不満があったとしても、そんな場で不満をぶつけないような配慮ができていたはず。
非日常が常態化してしまうと、人は判断力を落としてしまうということを痛感しました。
また、その7月に行ったボランティアでは犯罪にも巻き込まれました。ボランティアの女の子が被災者の男に襲われるという痛ましい事件でした。私はその事件の数時間前まで、その被害者と加害者と一緒に飲食をしていたこともあり、警察の事情聴取を夜中まで受けていました。事情聴取を受けながら、なんであの男が襲ったんやろ・・・と考えていましたが、やはり、非日常の常態化というのは、要素の一つにあったと思います。あの震災でストレスフルな生活を強いられることがなければ、起きなかった事件なのかもしれない、と。
(だからと言って犯人を擁護しているわけではまったくありません)
転じて、丹波。
被災者の心に寄り添うことがボランティアだとしたら、それは精神的余裕がないと辛いはずです。自分の心に余裕が無い状態で、他人に寄り添うことはやはり難しい。
だから、「あ、今のオレは余裕がないな」と感じたら、一旦離れてみても良いんじゃないでしょうか。余裕が無い人の振舞は、返って相手を傷つけます。
私は昨日の夜にびっくりするほど疲れが出てきたので、今日は午後から退散しました。みんなの家からボランティアに出向いてくれる人がたくさん居るので、しばらくは彼らに私の思いを託します。
また明日、明後日は現地に行かず、自社の仕事をすることにします。
なんか罪悪感もありますが、逆に迷惑をかけるよりマシかな、と。
●終わりに
こういう非常事態になると、人間の性格が言動に表れるもんだなぁ、と思います。良くも悪くも。
・「ボランティアを集めろ!出来の悪い奴はいらん!ボランティアのことを理解してる奴だけでええんや!俺は24時間寝ずにやっとるんやー!」と私の友人に電話で怒鳴りつけた、とある立場ある人。
一部にはこんな輩(↑)も居たようですが、私の周りでは圧倒的に感動的な話が多かったです。
・自分の仕事を放ったらかしてまで連日炊き出しや泥かきに汗を流す女経営者。
・ボランティアの募集をかけるとすぐに仕事の調整をして、東京からかけつけてくれた心優しい女友達。
・学生団体のメンバーに声をかけまくって、一人で10人以上のボランティアを招集してくる敏腕女子大生。
私の周りだけでも感動を与えてくれるサポートがたくさんありました。毎日何百人、千何百人というボランティアに来ていただいているわけですから、今、この被災地にはたくさんの善意が集まってきているんだと思います。
被災したことは辛いこと。だけど、被災地には丹波市史上最大級の善意が集まってきているという事実もまた、見逃したくありません。
今回私たちを助けてくださったことがきっかけとなって、素晴らしいご縁が生まれることを願っています。皆さんとは、これから一生かけてお付き合いさせてください。復興を通して、一緒に幸せな町づくりをしていきたいです。