1.脱・依存の自立的な村づくり
こんにちは。村長です。
ひっさしぶりにブログを書きます。
6年ほど前に総務省の地域力創造アドバイザーという役をいただき、それからしばらくは地方創生のお手伝いで全国いろんな地域に出張してはコンサル業務をしていましたが、3年ほど前に長女が生まれたことをキッカケに働き方、生き方を変えてきました。
父親として家庭で過ごす時間を増やしたかったことと、娘が育っていくこの地域を住み良い環境にしたかったことが動機です。日本各地の地域づくりに関わって一般的な課題の本質も見えてきたし、各地域の面白い人や中央省庁との人脈もけっこうできたし、出稼ぎで得られたそれらを持ち帰って今度は地元で面白いことをしよう、と。
地元で、と言っても地元自治会を巻き込んで何か大それたことをするわけではなく、個人的に勝手に「村」を創って、その「村」に集う人たちと楽しいことをやるだけですけどね。そしてその輪が徐々に広がればいいなー、と。
村長は私(42歳)で、助役は蕎麦打ち職人のベンちゃん(77歳)。親子ほど離れた二人で、アレやコレやと企てています。
これまでシェアハウスとして活用していたハコを改装しての村づくり。人からどう思われているのかは知りませんが、やっている本人たちはかなり楽しんでいます。
この村の目玉は「村の蕎麦屋 木琴」です。同じ丹波市内にある「そばんち」という蕎麦屋を立ち上げたベンちゃんが、「そばんち」をお弟子さんに任せつつ、今度はこの「村」で新たな蕎麦屋を作って楽しむことを決められました。丹波市は山南町だけが蕎麦屋がなかったですしね。
この「村」は国道から入り組んだロケーションにあるからなかなか人目につかないんですが、このあたりの地理に詳しい地元の人だけでなく、最近ではGoogleでの評価が上がってきたこともあってか、京阪神からもこの蕎麦屋目がけて来られる人が増えてきました。
他者評価はあまり気にしないけど(とは言えこれだけ高い評価には驚き!)、何よりも面白い人が集まる村になってきていることが嬉しいですね。
そして今はコロナの影響で準備中のままだけど、コロナが落ち着いたら農家民宿も始めます。私、大学は農学部で、サラリーマン時代は青汁の原料ケールの栽培担当をしていたほど、元々「農」への関心がありました。今でも両親が畑仕事をしてくれているので野菜の自給率は高めではあるんですが、このコロナ禍でこれまで以上に自給自足への興味関心が高まったので、これからは私も農作業しようかな。そして農家民宿で私が作った野菜を食べてもらおう。
この農家民宿を始めるにあたって、宿となる建物はかなりリフォームしました。台所と応接間の間の壁を取り壊して大きな空間を創り、台所に至っては床も取り除いて土間にしました。
壁は1年半かけて発酵させた土を塗り、
テーブルは台下冷蔵庫を隠すように組み込み式で仕上げてもらいました。
そして薪ストーブがあるこの空間は、癒しの場になること間違いなし!
あ、そうそう、この村は自然エネルギーをフル活用しています。
太陽熱給湯や薪ボイラーでお湯を作り、
屋根に太陽光発電パネルを載せて発電しているので、電気は売るほど作っています。
また夏は屋根につけたスプリンクラーから地下水を散水したり、
天井に取り付けたミストシャワーを吹きかけたりして打水効果で周辺の気温を下げ、
冬は薪ストーブで暖を取ります。そのための薪割り機もアメリカ製のごっついのを導入しました(ちなみにこの薪割り機の動力は、奥に鎮座している39馬力のトラクターの油圧を引っ張ってきています。トラクターは中古をヤフオクで買いましたw)。
これだけ薪があると、灼熱の冬を迎えられそうです。
食にしろエネルギーにしろ、なんでこんなに自然にあるものを活用しているかと言うと、依存したくないからです。その依存は、「お金への依存」と言えるかもしれません。お金がなくとも豊かに暮らしていける仕組みを作ってしまえば、後は自分で必要なものを生産しながら自分の好きなように生きていけるんじゃないか、そう考えて村づくりをしてきました。脱・依存を掲げた自給自足で自立的な村づくり、って感じですね。
そして脱・依存で自立的に生きることを推奨しているので、この村のコミュニティでは忖度の文化を嫌い、基本的に表現が自由です。ベンちゃんが率先して好き放題に表現していることもあって、周囲の人も釣られて自由に表現しやすくなっています。
例えば村の各所の看板は謂れのある村人が自由に書きました。字が下手でも上手くてもどうでもよく、自分の色を出す。そうやって各所に自分の色を出せる関わり代があって、自分が関わった結果として自分の居場所を自分で創り出せる、そのような仕掛けがあります。
これはベンちゃんのお弟子さんが書いた「迷人のそば打ち!」
ちなみに私は薪割り担当なので、「薪割場」を書きました。
そんな村の雰囲気だからか、「村人」も徐々に増えてきました。「村の日役」では半日ほど掃除や改築をして、その後宴会です。コロナの影響で今年は密を避けて屋外でこじんまりとした開催に留めていますが、明けた頃にははっちゃけた宴会ができそうです。
まぁそんな自立的な村づくりをしているわけですが、この度、脱・依存の新たなピースとして、我が村に鶏を招き入れることにしました。
2.鶏を飼うことの意義
素人DIYで鶏小屋のセルフビルド
この夏は、鶏を招き入れるために鶏小屋を造っていました。インパクトドライバーの使い方すらよく知らないDIYの初心者だったんですが、倉庫にある廃材を引っ張り出してきて、炎天下で全身から溢れ出る汗の量にびっくりしながらも必死のパッチで造りました。
家の裏の空き地に狙いを定め、
コンクリートブロックで基礎を造り、
基礎ができたと思って面積を計算してみると建築確認申請が必要な10平米以上あり(泣)、
そこから10平米以下になるように基礎を敷き直し、
柱を立てて、
垂木を架けて、
ドアを取り付け、波板を打ち付ける準備をして、
壁板を貼り付けるここまではほぼ廃材だけ。
100均とホームセンターで購入した金網を張り巡らし、
屋根に波板を打ち付けて、概ね出来上がり。
鶏小屋の中には自動的に清潔な地下水が飲める水飲み場を塩ビのパイプでセッティングし、
剪定して捨てられた木を拾って来て止まり木を造り、産卵箱を設置して、はい、出来上がり!
と思いきや転がってくるはずの卵が引っかかる始末で、やり直し。さすが素人ですね。
というわけで、7月21日から8月26日まで1ヶ月余りの時間をかけて、やっとこさ出来上がりました!
DIYも養鶏も素人の私が、なんでここまでして鶏を飼いたくなったのか、それは大きく分けると「物質的な意義」と「精神的な意義」があります。
目に見える物質的な意義
目に見える物質的な意義をざっくり言うと、「私たちにとって無益なものから有益なものを生み出す」こと。まさに「田舎の課題を価値あるものに変えて、みんなにお届け!」という、うちの会社のキャッチコピーそのものです。
●減らしてくれる無益なもの
・米ヌカ
うちの会社で販売している丹波篠山のこしひかりは、農家さんから仕入れた玄米を24時間換気の部屋に保管し、お客さんから注文が入るとその都度お好みの精米歩合にまで精米し、その日のうちに発送しています。
そこで当然ながら米ヌカが出てくるわけですが、これまではその使い途が特になく、仕方なく畑に撒いたり廃棄したりしていました。
そこに鶏の登場です。その米ヌカが鶏の主食になりました。米ヌカを納豆菌を使って発酵させて、そこに他のエサを混ぜ込んで与えるんです。上手に発酵させると米ヌカって本当に芳醇な香りがするもんなんですね!びっくり!
これまで不要だった米ヌカが、180度変わって必要なものに。というか、これから鶏の数が増えればうちの会社から出てくる米ヌカだけでは足りなくなる気がします。その時は近所のコイン精米所から出る米ヌカをいただく予定。
・生ゴミ
生ゴミって日本の焼却場で最もコストがかかっているゴミらしいですよ。なんと言っても水分量が多いから燃えにくく、それを燃やすために重油を投入しているんですって。だからコストがかかってしまう。
そこで以前、我が家ではコンポストで堆肥化を目指したんですが、ちょっとサボると発酵でなくて腐敗になって虫が涌き、そこのコントロールが面倒でやめていました。
でも庭先養鶏を始めると、その生ゴミだって貴重なエサに様変わり。
しかも鶏たちに生ゴミをおねだりされるもんだから、毎日与える→生ゴミが溜まらない→キッチンにコバエが寄ってこない→妻の機嫌が良くなる、という好循環も生まれました。
これから鶏の数が増えれば我が家の生ゴミだけでは足りなくなるので、ご近所さんに声をかけて生ゴミを鶏に与えてもらうような仕組みを作るのも、双方にとって有益なことかもしれません。
・雑草
鶏は「緑餌」と言って雑草も食べます。養鶏の教科書には「緑餌ほど優秀な飼料はない」とまで書いてあります。
我が家には隣接している農地が3反ほどあって、両親がその農地の草刈りなどの管理をしているんですが、けっこう大変そうです。今はそんな他人ごとのように言うてますが、しかしいずれ私にその役割が回ってくるので、その時はできるだけラクしたい(笑)
そこで、鶏小屋からその農地までの通路を作ることにしました。つまり農地を彼女らの「運動場」にするわけです。
そうして放たれた彼女たちが、農地の雑草を食べ、そこに鶏糞を落としてくれる。
そうすると、私たちは草刈りと堆肥の投入をしなくて済むのではないか、と企んでいます。
まぁ実際にやってみないとこのシステムがどれだけ機能するかわからないですが、このシステムは草刈りに追われている母親からも期待されています。
自分たちが採れるエサは自分たちで採りに行く。これができれば脱・依存で自立的な、まさに「村の鶏」ですね。
●生み出してくれる有益なもの
・卵
養鶏と言えばなんと言っても卵ですよね〜。
鶏を飼うことを意識してから、スーパーで買う卵もいろんな種類の卵を買って食べ比べするようになりました。
これまでなんとなく食べていた卵ですけど、味覚の感度を上げて食べ比べてみると、卵って味が全然違いますね!
で、なぜそんなに味が違うのかを考えていくと、一番はエサにある気がします。
食べて美味しいと感じた卵と出会うと、その養鶏場がどんなエサを与えているのかネットで調べるなどして、これから与えるエサの参考にさせてもらっています。
木酢液を与えて産んだ卵は臭みが少ない、という情報をキャッチした時はニヤっとしましたね。なぜなら、我が社に木酢液は売るほどあるからです(ていうか、それがメインの商材)。蒸留精製して不純物を取り除いていることが卵の味の差別化になるか!?いや、むしろ精製後に出る残渣が良いエサになるのなら、そんな嬉しい話はないですな。これからいろいろ実験してみよう。
さてエサ以外にも、どれだけストレスを軽減させて飼っているか、という要素も卵の味に影響するかもしれないですね。
日本の養鶏の90%ほどが、後ろを向くことすらできないほど狭い枠の中で飼われるケージ飼いのようです。それはストレスがかかりますわな。ヨーロッパでは動物愛護の観点からケージ飼いを禁止にしているんですって。
うちはケージを作る方がめんどくさいし、そもそも私は束縛するのもされるのもイヤなので、彼女たちは平飼いで自由に遊ばせることにします。
・鶏糞
彼女たちはよく糞を落とします。不思議と鳥の糞って臭くないですよね。なんか消化器官の違いがあるんだろうな。
いずれにしても彼女たちが落とす鶏糞は、その後畑で活用させていただきます。
・お肉
もう卵を産まなくなった雌鳥は、最後お肉としていただこうと考えています。だから卵も産むし、肉としても美味しい「卵肉兼用種」である「ボリスブラウン」をチョイスしました。
今は鶏に「あんこ」「チョコ」「たいやき」と名前をつけているくらいに愛着があるので、彼女たちを食べる・・・なんていうのは少なからず抵抗がありますが、私の性格上、その時がくれば食べる気がします。
目に見えない精神的な意義
●キャッシュフローを改善させお金に対する不安を減らす
これまでコストをかけて捨ててきた生ゴミを鶏が食べてくれるわけですから、その分だけ出ていくお金が減りますよね。特に丹波市はゴミ袋代が高い!なので、庭先養鶏はゴミ削減という意味においても家計に優しいのです(焼却場でその分の重油を減らせるため、この取り組みが広がれば市役所の財政的にも優しいでしょうね)。
さらに卵を買う必要がありません。それどころか、これからは売ります。うちの場合は「村の蕎麦屋 木琴」があるので、木琴のだし巻き卵の原材料にしてもらおうと企んでいます。
そしてその出し巻き卵が美味しいと感じたお客さんが、この卵を買って帰られるかもしれません。
今回建てた小屋は廃材だらけのオンボロで大した価値はないですが、出ていくお金が減って、入ってくるお金が増えるこの仕組み全体が「資産」となっています。この資産は将来的にキャッシュフローを改善させてくれることでしょう。日ごと月ごとで見るとその額は大きくないかもしれませんが、私や家族の生涯積算で考えるとそれなりの額になるんちゃいますかね?
●非常時のセーフティネットで心が落ち着く
自分の家で動物性タンパク質を自給できるというのは、非常時にも役立ちます。
災害などの非常時に停電で冷蔵庫が使えなかったら生ものは腐ってしまいますが、卵は常温で2週間は保存できます。だから気兼ねなく周囲に配ることもできます。
また、最終的には30羽ほど飼おうかと思っているので、非常時に家族で1日1羽を食べたとしても1ヶ月は生き延びられる。
そんな非常事態にはそもそも陥らないことを願うばかりですが、自然災害の多い昨今ですから、そういうセーフティネットがあるというだけでも心は落ち着くものです。
●自然体感覚
私たちにとって不要なものを食べる代わりに、卵、肉を与えてくれる。また鶏糞は畑の肥料として活用できる。自分の暮らしの中に養鶏を取り入れるだけで、暮らしが随分と自然循環型に変わります。その循環を止めない限り持続可能な暮らしができるわけです。
最近はやたらSDGsとか言われていますが、まずは日本が一昔前までやっていた庭先養鶏を復興させたらいいんじゃね?とすら思いますね。
そしてその自然の循環の中に自分がいて、自分本位ではなくこの自然の枠組みの中で生かされている感覚が体験的に感じられると、その自然には抗おうとは思わないし、自分自身もその自然の一部として身の丈に合った自分らしい生き方をしよう、そんな気になってきます。
●養鶏の後ろ盾が、自分の信念を強くしてくれる
私は依存的に生きていたら、相手の顔色を伺って、時には忖度もしながら、自分に嘘をついてしまう、そんな弱さがあることを自覚しています。過去がそうでしたから。
それがイヤで、とにかく自立的な暮らしを目指してきました。
鶏を飼うことによってさらに強まった自立感は、私の生き方に力強さを与えてくれます。仮にもし人間社会から爪弾きに遭っても、家族とこいつらが居てくれたらとりあえず食べてはいけるわ、というセーフティネットができた感じ。
その後ろ盾があるからこそ、自分が社会でブレずに自分の信念を貫けるようになるんだと思うんですよね。
「田舎の課題を価値あるものに変えて、みんなにお届け!」という、うちの会社のキャッチコピーを具現化させたこの夏の労働は、私の生涯に物質的にも精神的にも安定をもたらしてくれることでしょう。
3.選挙に出ることにしました
話は今年の2月に遡ります。地元の方から「次の市議選に出ないか」と打診がありました。
政治家かー。
政治家と言えば、8年前の丹波市市議会議員選挙で横田いたる(当時30歳やったっけ?)の後援会会長として関わったことがキッカケで、意識はしていました。
そして、いち市民としても、市役所の仕事を請負ったことのあるいち事業者としても、これまでイヤと言うほど丹波市役所には迷惑を被ってきたので、住み良い町にするためにそこを是正したいという動機はアリアリです。
だから政治家という手段は意識していました。ただ、思ったことを口にする私には敵が多い。なので
「俺もいつか政治家を目指すんかなー、でも俺は敵が多いし人気投票には弱いやろうから、立候補することはないやろなー。」
とぼんやりと考えていました。
それもあって行政という大きな枠ではなく、こじんまりとでも勝手に「村」でも創って、そこに集まってくれる「村人」と楽しい人生を過ごそうとしていました。
ところが今回は地元の方から打診を受けたので、政治家の道を進むか否かを真剣に考えました。その判断材料の一つとして、その方になんで私を指名されたのか、その理由を尋ねると、
「お前は自分の意見を言うやろ?ほんで筋を通すやろ?だからや。」
と。なるほど、そういうことでしたか。ということはもし政治家になってもこれまで通り、私なりの筋を通していいわけですよね?ではこの話、乗らせてください。
こんな経緯があって、私は今年11月に行われる丹波市市議会議員選挙に出馬することにしました。
4.ところが選挙準備期間中に、ブレた!
「嫌われる勇気」がどっかいった
私に声をかけてくださった支援者がおっしゃるように、私は私の意見を言い、筋を通して生きているつもりだし、これからもそういう言行一致で生きていきたいと考えています。
これは「アドラー心理学」(※)を学んでから強固された考えなんですが、要するに相手が感じたり考えたりすることは相手の課題であって私の課題ではない。そんな私の課題ではない領域のことを考え悩んだって仕方がない=相手にどう思われようが関係ない。雑に説明をするとそういうことです。
※アルフレッド・アドラー(1870〜1937) オーストリア出身の精神科医、心理学者
「アドラー心理学」で言うとこの青い本『嫌われる勇気』が有名になりましたね。そう言えば今から6年ほど前に「村長代読カフェ」というイベントでこの本の読書会をしていました。
この写真は若いなぁ。。って、この頃から私の中には「嫌われる勇気」が宿っていたはずなんですが、しかしいざ選挙の準備をしているとブレてきたんですよ、私の気持ちが、信念が、心の軸が。
選挙ともなると私一人の意思で動くわけにはいきませんよね。支援者がおられて、その彼らの気持ちも汲みながら話を進めていく必要があると考えています。そんな中にはやっぱり「何が何でも勝たなあかん!」という考えもあります。
その「何が何でも勝たなあかん!」という考えを受け入れると、だんだん選挙に勝つための行動にいきがちなんですよね。極端な話、目の前の人の一票が欲しくなります。
「あー、この人にも一票がある。あの人にも一票がある。」
そんなことを想像しだすと、だんだん言いたいことが言えなくなるんですよ(笑)。私は誰に何を言われようが思ったことを口に出してきたのに、目先の票を得るために嫌われないような関わりをしようとする。
私のオハコとする「嫌われる勇気」がどっかいっちゃいました。
こうして、
「お前は自分の意見を言うやろ?ほんで筋を通すやろ?だからや。」
という推してもらった性質すら失くしてしまいそうな自分がいました。
「何が何でも」の勝ち方は将来的な機能不全を引き起こす
また、いろんな考えの人の話を聞き入れて、票を入れてもらって当選した時に、果たして政治家として機能するんだろうか?という疑問も湧いてきました。
「何が何でも勝たなあかん」からスタートすると、
→目先の票が欲しくなり周囲の人にお願いしまくる
→お願いされた人が投票してくれる
→投票してくれたからにはその人たちの話を聞き入れる
→いろんな考えを聞き入れてしまうと結局身動きが取れなくなる
→政治家として機能不全に陥る
という流れが容易に想像できてしまったんですよね。
実際にちょくちょく話を聞くんですよ、現職の市議会議員が
「もっとできると思っていたけど、、」
「人からいろいろ言われるから動けない」
と言うてはるのを。
こういった話を聞いて、このままでは自分もそうなってしまうかもしれないと感じました。
本来であれば支援者である人たちの後押しがあればあるほどその民意を後ろ盾にして動きやすくなるのに、逆に動きにくくなるということは、支援者の声がバラバラであることの証左。
そしてそうなってしまったのは選挙戦の戦い方に問題があったのではないかと思うんですよね。つまり、立候補者自身の主張ありきで戦っていなかったということ。
特に村型選挙だとその村の中にはいろんな考えの人がいらっしゃいます。自分の主張を抑えてそれらの声を全て受け入れようとすると、そりゃー身動きが取れないでしょう。全て真に受けると多重人格者になっておかしくなりそう。
誤解の無いように付け加えると、もちろん地域コミュニティは大切で、身近な人たちの話を受け止める必要はあるし、その声を政治に反映しようとする姿勢は代表民主制においては当たり前の話だと思っています。
でも、票が欲しいあまり自分の考えを主張せずに、とにかく選挙のお願いに回るというのは、将来的に自身を機能不全に陥れる落とし穴を自分で掘るようなもの。
やはり何かしら自分の考えの軸があって、それに賛同した有権者に選ばれて政治家になる。そしてその民意を反映しようと軸をブラさずに政治活動に邁進する。これがあるべき理想の姿だろう、と。
ただ、現実はなかなかそうスムーズにはいかず、ある所で「私への投票をお願いしたいのではなく、私の考えに対しての理解をお願いしたい」と話してみると、「票をお願いしないとはどういうことやねん」という意見もあったようで。なるほど、そういう現実もあるのか。
それは私の表現の仕方に問題があったとも思いますが、やはり理想と現実は違うことを痛感しました。周囲の人からもそう諭されます。じゃぁ、お願いに回る?
お金の計算
それに加え、私の頭の中には報酬の計算もありました。政治家という仕事の対価としていただく報酬。現実問題生活するには多少なりともお金がかかるわけですから、一家の稼ぎ頭として仕事に対しての対価を無視するわけにはいきません。
ただ、その報酬のために政治家になるようでは本末転倒。中には「こんなラクして稼げる仕事は他にないわ」と放言するほど報酬のために市議会議員になっている人がいる、という話も聞きますが、その視座の低さでお金のために市議になるのであれば、市議に当選した瞬間に目的が達成されてしまいます。市議になってからろくに働かなくても報酬は保証されているわけですから。
議会の無断遅刻者一覧(そんなものあるのか?)を見ると、その人たちの思惑が透けて見えそうです。そんな次元の低い生き方に片足でも突っ込もうものなら、政治家どころか人間として腐ってしまいそうで嫌気がさしますね。
「もっと議員報酬額を上げないと若者の担い手が生まれてこない」、と言う声もあります。実際、現役で若手の市議でアルバイトをしながら生計を立てておられる方もいらっしゃいます(それはそれで、その報酬額でも市民に尽力したいから市議をやるんだ、という意思が垣間見れるから私は個人的に尊敬しているんですけどね)。
一方で、議員報酬額が上がれば、その報酬欲しさが先に立って出馬を考える人も出てくるかもしれません。となると議員報酬を上げるなら、同時に定数削減もセットかな?これは非常に難しい問題だと思います。
やはり市議会議員になるのはあくまでも市民の暮らしを豊かにするためであって、それが「公僕」の在り方じゃなかろうかと。
ところがですよ、実際に報酬の計算をしている自分がいて、その時点で「お金のために政治家になる」自分を否定しきれなくなったんですね。このブレブレで自分の思いと行動が一致していない状態がとても気持ち悪く、そんな自分に嫌気がさして、実は5〜6月くらいはけっこう悩んでいました。
5.悩んだ末に明らかにしたこと
そうやって悩んだ時に、いつも話を聞いてくれる後輩がいるんですよね、幸いなことに。
私のストレスが溜まった時にはいつも連絡して飲みながら語り合いました。彼は人間の心の機微がよく分かるので、私の様子を察してさり気なく海釣りに誘ってくれたこともありました。その道中で、船上で、たくさん話をしました。
ビギナーズラックでメジロを釣ったこの頃はまだ悩んでたな。釣り上げて嬉しいくせに悩ましい顔してるもん。
そんな彼は私のブレをすぐ見破ってくれる存在です。一般的には内面を見破られると苦しいのかもしれません。実際彼のアドバイスは身に沁みました。ただ、私の場合はとにかく自分の中のモヤモヤを晴らしたかったので、沁みるくらいがちょうどよかった。
自分の主張と「嫌われる勇気」を持った「アドラー的選挙」
おかげさまで「嫌われる勇気」が戻ってきました。まぁ表現には気をつけますけど、言いたいことは言うし、話の筋は通します。
また私個人的には「何が何でも」の戦略は使いません。目先の票に囚われることなく、自分の主張ありきで進んでいきたいと考えます。
目先の一票を求めると、どうしても言いたいことが言えなくなります。健全な批判までもができなくなる。
そうやって立候補者が変に謙ると、なんか相対的に有権者の方が偉い感じになって、「じゃぁ票を入れてやろうか」という話になりやすいじゃないですか。確かにその方が票を集めやすいのかもしれませんが、いざその候補者が当選して政治家になったら、なぜかまた形勢逆転して政治家が偉そうになるのは4年に1度よく見る光景。
もしくは前述の通り、政策の話無しに投票をお願いしちゃったもんだからいろんな人の話を受け入れる羽目になって、結局身動きが取れなくなって政治家として機能不全に陥ってしまうパターンか。
4年ごとに繰り広げられるその様子を振り返ると、私は同じ轍を踏まないでおこうと思いました。
そこで私は自分の主張と嫌われる勇気を持った「アドラー的選挙」でいきます。
変に謙らないので「選挙やのに票をお願いせんのか!」と思われるかもしれません。そりゃ票は喉から手がでるほど欲しいですよ。だけどその前にまずは私の考える政策についての理解をお願いしたいし、その上で誰に投票するかは有権者が決めること。アドラー的に言うと、有権者が誰に投票するかは私の課題ではないので、私は関与しようがありません。
政治家になってからもこれまで同様「おかしいものはおかしい」と言える自分であるために、嫌われてもいいから自然体の「アドラー的選挙」スタイルで進めます。
目先の一票の大切さと雁字搦めの落とし穴。この狭間に悩む感覚は、実際に出馬表明して身を以て体験してみないとわからない感覚でした。
「村型選挙」はいたしません
そしてそもそもいつまでも「村型選挙」をやっている場合ではないですよね。我が村さえよければいいという考え方ではなくて、丹波市全体のことを考えなければ。
例えば、地元にゴミの焼却場を建てる計画があったとしましょう(仮の話ですよ)。その時に私は地元だからと言う理由だけで反対はしません。他の候補地と比べて合理的に正しいと判断できるようであれば、地元での建設にGOサインを出します。結局どこかには建てる必要があるんだから。
私はそういうスタンスの政治判断をしようと考えています。
誤解のないように伝えておくと、地元を無視や軽視するわけではないですよ。選挙に際しては地元の自治会長さんへの挨拶もしましたし、そこは失礼のないように尽くします。そして政治にしたって地元の人の声を真っ先に聞きに行きます。
地縁型コミュニティにしろテーマ型コミュニティにしろ、代表民主制における政治家は自分の身近な存在に居てる人の声を行政に届ける役割がありますからね。でもだからと言ってその人たちだけがトクをするような働きかけはせず、やはり丹波市全体が良くなることに尽力したい、ということです。
要は、推してくれる人たちの意思を背負って出馬するわけであって、地区の看板を背負って出馬するわけではないんですが、身近な人の声は行政に届けて、より良い社会になるように尽力します、ってことです。
迎合せず協調する
ある人に、「この政治の世界では協調性が大事で、自分の思いを押し殺してでもやらなきゃならない時があるんだけど、前川はそれができるのか?」みたいなことを聞かれたことがありました。
それまで「協調」についてあんまり深く考えたこともなかったので、
「これでも大人になったつもりですが、自分の意思を曲げてでも周囲に合わせるというのは、無理ちゃうかな〜」
と答えるに留まったんですが、そもそも「協調」って何でしたっけ?家に帰ってから調べてみました。
きょう‐ちょう【協調】
互いに協力し合うこと。特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。
で、「協調」の解説に出てくる「協力」は
きょう‐りょく【協力】
力を合わせて事にあたること。
つまり、協調とは「利害や立場などの異なるものどうしが互いに力を合わせて事にあたること」
です。
あ、それだったら私は協調性がありますよ!めっちゃある!
一方で世の中にある「自分の思いを表に出さず周囲に合わせる」「大多数に染まる」「空気を読む」などなど、一見「協調」の意味に近そうなこれらの表現はほとんどの場合、「協調」とは似て非なるものです。
協調は「利害や立場などの異なるものどうしが互いに力を合わせて事にあたること」であって、周囲の意見に合わせて自分を同調させることではないはずです。それは「協調」ではなく「迎合」と言うべきもの。
もし政治の世界に「迎合」が必要なのであれば、その点は申し訳ないですが私にそんな能力はございませんので、他の方に思いを託されてください。
私は脱・依存で自立的な村を創りたいし、そういう人を育成したいと思ってこれまで活動してきました。それはこれから目指す政治の世界でも変わりません。
正しいことは正しい、間違っていることは間違っている、それを確度高くお互いに指摘、批判するからこそ、考えをブラッシュアップすることができて、個人の力がついてくる。そしてそんな個人の集合体となった組織・地域が、結果的に豊かになると考えています。
それなのにそれをせずに、なんでもかんでも「いいね!いいね!」と言うばかりの「協調性」ある仲良しグループを作ってしまってはその力がついてこず、傷を舐め合う悪循環から抜け出せなくなります。
当座はいいですよ、チヤホヤしてもらえるし、傷を舐め合えるし。でもその共依存の悪循環から抜け出せずにいると、いつまで経っても自分らしく生きられないでしょう。
もちろん、「そんな共依存の仲良しグループから今すぐ抜け出せ!」なんていう声かけを一律皆にするつもりはありません。それが言えるかどうかはその人によりますし、同じ人でもその時の精神状態によっても変わります。
私だって過度に落ち込んでいる人に非難をするようなことはしません。そんな鬼じゃない。(人の道理を外した行いでこちらが迷惑を被った場合にはきつめに叱ることはありますけど)
と言うのも、この村長ブログにも過去に書きましたが、私は2011年に鬱になった経験があります。その後2014年に書いたブログがこちら。
「鬱になり、もがいて、復活して、いろいろ考えた結果、鬱は創造的自己破壊だと思った」
それからこのブログが月間何万PVも読まれるようになって鬱の問い合わせが増え、なんなら主力商品の木酢液についての問い合わせよりも増えて、もはや何屋さんかわからなくなるほどで、それがキッカケで鬱の人をケアするNPO法人も立ち上げました。産業カウンセラー養成講座も修了したし、精神科医明橋大二先生のセミナーで学び、子どもの自己肯定感を育む子育てアドバイザーにもなりました。
おかげで自立のためには適切な甘えが必要だということを、理論的にも体験的にも理解できました。
そういった挫折があったうえで専門的な分野まで研究してきたからこそ、本当に自立が大切だと気づけたし、人が自立に向かうためには批判ばかりではなく時として気持ちを受け止めることも必要なんだと理解しました(若い頃は批判ばかりでした。今から思うとお恥ずかしい限りです。)。
だから、時として傷を舐め合うような関係性もアリだと思うのです。
ただ、迎合して傷を舐め合う仲良しグループにどっぷり浸かってしまうと自立が遠ざかってしまうこともまた、真実です。
それがただの仲良しグループならまだいいですが、政治グループでそんなことをしてしまうと是々非々の政治判断ができそうにありません。だって、自立できずに依存していたら、目先の何かに囚われて、ついつい大きな力に忖度しちゃうんじゃないでしょうか。
だから政治は脱・依存で自立的な人たちで行うべきだと考えるし、私は依存しないように、協調性を持ちながらもでも絶対に迎合しない人間でい続けたいと思います。
ある年配の支援者と話をしていて、「キミは政治に命をかけてやってくれるんか?」と聞かれました。このご時世で「命をかけて」実際に命を落とした人を見たことはないのでこれは比喩表現だと思いますが、要するに、お前は迎合せずにやれるんか?という問いだと捉えています。
その支援者には、「はい」と答えておきました。
報酬はアテにしない
そして報酬に関しては気持ちよくいただきます。要は、その額以上のパフォーマンスを発揮すりゃいいわけですよね。その自信はあるので気持ちよくいただきます。
ただ、その報酬は生活のアテにしません。その報酬がなくても十分生きていける環境を整えます。これまでもそんな考えがあって、太陽熱給湯、太陽光発電に電気自動車、地下水利用、薪ストーブに薪ボイラー、こうしてお金がなくとも自然にあるものを活用して生きていく生活様式を何年もかけて創ってきました。
それでもまだ私の気持ちがブレたというのは、お金に依存しない環境整備が足らなかったんだと思いました。
だから脱・依存の次のピースに、養鶏を取り入れました。鶏を招き入れて、自立度をさらに上げたかったのです。
政治家の報酬をアテにしなくとも豊かに生きていける、そんな自立的な状態だからこそ、議会で干されようが次で落選しようがお構いなく、自分が考える是々非々の政治判断ができるようになるんだと思います。
鶏小屋造りは外作業がしやすくなる9月から取りかかってもよかったのですが、梅雨で作業しづらい7月から一年で一番暑い8月にかけてアホみたいに汗水垂らしながら一心不乱に鶏小屋を造っていたのは、少しでも早くブレない自分を作り上げたかったからです。
一部の支援者からは7月あたりに、「もっと早く選挙対策を進めないと遅れを取るぞ!」というお声もいただいていたんですが、すみません、私の中には順番があって、周囲に広げる前に足元を固めたかったんですよね。
人間は弱い生き物だから、精神がブレる。私だってそう、ブレる。そんな時私はちょっと時間を作って内観します。そして自分の気持ちに素直になって、ブレの原因を理解し、今後ブレない対策を講じる。
鶏小屋を造るのは、その対策の一つだったということ。
おかげで自分の気持ちや考えが改めて整理できて、そして自立のパートナーのかわいい鶏ちゃんも手に入れて、ブレる前より少しは強くなった気がします。
6.私が目指す丹波市の未来と市議会議員としての関わり方
これは政治家に立候補する前から取り組んでいることですが、この地域を自立的に自分らしく生きていく人たちの集合体にすることが私の目標です。
そのために市民のさらなる自立を支援したく、それを具体化した代表的な政策が「子育て支援」と「教育改革」になります(日本の人口ピラミッドから考えても、一般的に選挙となると「子育て支援」や「教育」は票に繋がりにくいと言われていますが、とは言えこれほど根源的な問題を看過できないので、私は「子育て支援」と「教育改革」を打ち出します)。
自立のスキルとマインドを獲得して、自分らしく生きる
人間は極めて社会性の高い生き物だから、完全なる自立なんてありえないですよね。どこかしら、何かしらに依存して生きています。
そんな人間社会の中でどこまで自立できるか、それに苦心するのが人生の醍醐味のようなもんだと思っています(他者と比べてどちらが自立的か、ではなく、過去の自分と比べてどれだけ自立的になれたのか、が私の論点です)。
だって、自立すればするほど自分を表現することができるんだから。自立的に生きないと、やりたいことすらやれない、言いたいことすら言えないというのが、この社会の暗黙の掟だと感じています(それが良いかどうかは別として)。
例えば私が中学校を卒業してからの進路を選ぶ時、香川県の軟式テニス強豪校から推薦が来ていたので、その高校への進学を希望していましたが、父親が強制的に私を地元の進学校へ行かせました。この時、依存している人間は従うしかないという現実を突きつけられ、早く自立したい、早く親元から離れたいと強く思ったものです。
ある人が「自立とは依存先を増やすこと」と表現していました。うん、まぁそれも言えなくはないけど、私が思うにそれじゃ足らない。増やした依存先全てに縁を切られたら、どうやって自立してられるのよ、って話ですから。
じゃぁどうすれば自立に近づくかと言うと、自立できるだけのスキルとマインドの両方を持ち合わせることだと思っています。
「あなたのその技術がないと我々の願いを叶えられないんです」と言ってもらえるだけのスキルを磨く。そして、ちょっとやそっとの逆境では折れないマインド=自己肯定感を持つ。この両輪があって初めて自立的に生きられると考えています。
例えば、いくら値段が高くても美味しい料理を出してくれる店は繁盛するじゃないですか。それだけのスキルがあるから、この人間社会の中でどこに行っても依存せずに自立的に生きられます。
だけど料理は美味しくないし接客もイマイチ、となると、お客さんに媚びて依存しがちになるでしょ。そもそもの料理なり接客なりのスキルを高めないと。
またちょっとした逆境で心が折れるようでは、事なかれ主義になって人や組織に依存しがちになります。人間社会ってそんなもんだと思います。
やはり人が自分らしく生きるには自立に向かう態度が大事です。そのためには人材育成がとても大事だと思っていて、ここ数年間は思考のスキルの論理的思考力と、自立のマインド「自己肯定感」の両方を高める人材育成活動を進めてきました。
子育て支援や教育への投資が地域の未来を明るくする
自己肯定感は主に3歳までに大人との関わりの中で醸成されます。ただ大人と触れ合いさえすれば育まれるものではなく、自己肯定感が高まるような触れ合い方が求められます。
具体的に言うと、人の心は自立と依存を繰り返して成長します。甘えが欲しい時にしっかり甘えて英気を養えた人が、自立に向かって走り出す。そしていつか苦難を味わい心が折れそうな時には、しっかりと気持ちを受け止めてくれる人に甘えてまた英気を養い、自立に向かう。これを繰り返すんですね。子どもも大人も、この構造は変わりません。
この触れ合い方を誤ると、逆に自己肯定感は下がります。例えば、気持ちを受け止めて欲しいのに話を聞いてあげないとか、また自立に向かいたいのに過保護過干渉で抑制してしまうとか、このような関わりは人の成長を阻害します。
(そのあたりの専門的な内容に興味をお持ちの方は、私が朝来市創生推進人財育成プロジェクトで制作した『子どもたちの未来のために子育て中の私たちが今できること』の子育てパンフレットとコラムをご覧ください。)
この関わりは自然とできるものではなく、ある程度の学習が必要です。私は自分自身の鬱がキッカケで、同じ轍を踏むまいと我が子との関わりのために、妻とともに精神科医明橋大二先生の門戸を叩いて学びました。
その明橋先生の著書『子育てハッピーアドバイス』シリーズは累計で500万部近くも売れたようです。読みやすくて内容が充実しているので、この本で救われたお母さん方は全国に多くおられることでしょう。
また、明橋先生からは自己肯定感が育まれずに育った人は将来的に鬱になりやすいという医学的な内容も学びました。これは私自身が鬱になったので、体験的にもよく理解できます。
(明橋先生は精神科医で、平日は富山県の病院で鬱病患者のケアをされています。そして鬱病を患う人の多くは幼少期に自己肯定感が育まれていないケースが多いという推察から、平日は病院で働き、土日は自己肯定感を高める子育てを広めるべく、全国行脚されています。)
それに付随する話で、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のヘックマン教授は、教育投資に対する効果(コストパフォーマンス)が最も高いのは小学校に入学する前の未就学児の間で、それ以降は加齢とともに下がっていくという研究結果を出しています。もうそれだけのエビデンスがあるんです。
我が家でも今3歳と0歳の娘がいますが、この子たちの将来のためには今こそが大事!という認識で、自己肯定感を育む子育てに妻とともに力を入れているところです。
要するに子育ては、その子の将来や、引いては地域社会の将来までを大きく左右する非常に重要な営みだと言えます。これほど重要で、なおかつコストパフォーマンスが最も良い未就学児に対しての子育て支援に力を入れない理由がどこにも見つかりません。
市政の財源には限りがあるわけですから、だからこそそのコストパフォーマンスが高いところに重点的に投資することが私は合理的だと考えています。
地域の将来のためには丹波市役所への支援が必要
もちろん丹波市も子育て支援には予算を割いていますが、うーん、正直なところ私からすると形骸化している部分もあって有効な税金の使われ方とは思えません。
例えば「丹波市健康福祉部子育て支援課」は、私が師と仰ぐ件の明橋大二先生を招聘して昨年11月23日にライフピア市島で子育て講演会を開催しました。先生が登壇されるという情報は明橋先生ご本人から伺っていたので、講演会の半年以上前からスケジュールを入れていたのですが、なぜか娘が通っている保育園からはそのセミナーの情報が直前になっても来なかったんです。
それを保育園の職員に尋ねると、保育園にも市役所から連絡がきていないとのこと。
子育ての第一人者である明橋先生を丹波市に招いておいて市内の保育園に連絡をしていないなんてあり得ないだろう、と思って市役所子育て支援課に行って尋ねると、
「昔からあるような大きなこども園にはチラシを配布しているが、(私の娘が通っているような)後発の小さな保育園には配っていない。」
「なんで?」
「これまでもそうだったから。」
という杜撰な対応でした。公平性を担保するのが行政の最優先事項の一つですから、こんな情報差別を日常的に行なっていたのは問題です(是正をお願いし、その後、後発の保育園にもチラシが配られるようになりました)。
そして明橋先生を呼んだ担当者に
「なぜ明橋先生を選んだの?」
と問うと、
「有名だからです。」
(え、明橋先生の話の内容に共感したからじゃないんや。。)
「じゃぁ子育てと鬱の関係性の話は知ってる?」
「知りません。」
(この担当者は、内容も背景も調べてないんやな。。)
「あのね、自己肯定感が育まれないと将来的に鬱になって自殺してしまうこともあるんですよ。」
「え、そうなんですか!」
「丹波市って自殺率高いでしょ?それを防ぐための一丁目一番地は子育て支援やと思ってるほどですよ。」
担当者とはこんなやりとりだったので、丹波市にとって効果の高い講演会に仕上げることができるのかと心配していたんですが、案の定、って感じでした。
当日ライフピア市島に集まった参加者は、我々のような子育て世代はほんの一握りで、八割以上は高齢者でした。なんでかって?民生委員に動員をかけたようです。動員をかけると参加者は受け身になることが多いから、参加人数の割に効果がでないんですよね。なんでそんなことしちゃったんだろう。
明橋先生をお呼びするにもそれなりのお金がかかります。その投資は良いとしても、市内の子育ての実態を改善させるためには、民生委員への動員の前に、我々子育て世代に確実に情報を届け、さらに主体的な参加を促す仕掛けを用意してほしかったです。
もっと多くの人に知って欲しかったな、この自立のお話。
私がお隣朝来市の地方創生で人財育成プロジェクトのディレクターをしていた時にも明橋先生を講演にお招きしました。その際は前泊していただいて夜に懇親の場を設け、そこで市役所の関係者たちとみっちりと意見交換し、翌日講演が終わった後には参加を希望する市内の保育士さんに集まっていただいて意見交換。明橋先生が帰られる電車の直前まで拘束させていただきました。かなり費用対効果の高い税金の使い方だったと思います。
一方で丹波市は前泊を要請せず、明橋先生は市外のホテルに一人で宿泊。当日講演会が終わってからは教育長が20分ほど話されただけですぐ解放。あまりにも素っ気ないので私が市島町から山南町の「村」にお招きして明橋先生と情報交換し、互いに有意義な時間の使い方ができましたが、私一人で聞くなんて贅沢というかモッタイナイ話です。
この事案に限らず、私は全国のいろんな地方自治体でコンサルをしてきたので、小さな村役場から国の省庁までの組織を見てきましたけど、丹波市役所ほど無駄が多くて税金を上手に使えていない役所は見たことがないんですよ。いや、他に一つ二つはあったか。。
ほんと一事が万事で、丹波市の政策は概ね形骸化しています。去年もやったから今年も同じことをやる。他所の役所がやっているから丹波市もマネっこしてみる。講師は有名だから呼ぶ。で、中身があんまりない(全くないとは思わない)。
ただ、人事の仕組みとして難しい側面はあると思うんですよね。市の職員は例えば企画総務部の仕事に慣れたかと思うと教育委員会に異動になったとか、財務部から健康福祉部に移ったとか、数年ごとに異動があって全く畑違いの仕事を渡り歩くことが多いわけです。その分野に元々興味関心もなければ給料も変わらないという条件であれば、じっくりと研究するモチベーションも起きないでしょう。
例えば私のように、生きていくために必要に迫られて経営学を学んだり、「よし!次は養鶏だ!」と興味関心がある分野に没頭したりできる立場とは違うわけですから、そこを責めても仕方ないと思うんです。個人の問題じゃなくてシステムの問題だから。
だからこそ、市民の代表である議会で、その市役所の仕事が効果的になされているかのチェックを行わないと、費用対効果のより高い税金の使われ方になりません。
そのためには議会はある程度の専門性を持った議員で構成されるべきだとも思います。
これはもし私が議員になったら、という仮定の話ではありますが、私はこれまでの経歴、職歴から考えると、例えば
教育、子育て、人材育成、まちづくり、経済振興、定住促進
などはそれなりに高い専門性を持っているのでチェックの精度は高いと思いますし、事業を行うにあたって事前に相談してもらえれば、より効果的な手法の提案もできます。
今回の明橋先生のケースにおいても、集客のアドバイスから先生の拘束の方法(笑)まで、朝来市で行なったような手法を紹介できたので、より費用対効果の高い税金の使い方ができたでしょう。
一方で、私は
福祉、建設
などの分野の専門性は低いです。そのような場合はまず私がその分野の勉強をしなければ是々非々のチェックができませんし、そのためには自分の不勉強さに頭を下げながら逆に市の職員に教えを乞うことになろうかと思います。
議会は行政のチェック機能の側面が強い印象ですが、なんでもかんでも厳しくチェックするというよりは、むしろ一緒になってより良い事業を創っていくことにも重点を置きたいですね。それはこれまで地方創生のお手伝いをするコンサルタントをしていたから余計にそう思うのかもしれません。自治体職員とタッグを組んで取り組んだ仕事はどれも楽しかったですからね。
(ただし議会は行政のチェック機能という役割がベースにあるので、癒着関係にならないように適切な領域で線を引くことは大前提の話です)
話は明橋先生のセミナーに戻りますが、あのセミナーを聞いていれば救われる人も居たかと思うと、この市役所の現状を放っておくわけにはいかないと強く感じました。職員の専門性が低いなら議会でカバーする、それくらいの関わりをしたいです。
実は昨年、友人が鬱になり、自殺しました。彼は幼少期に両親が離婚し、父親の顔は見たことがないと私に打ち明けてくれました。いつしか親族とも縁が切れ、孤独の中で生きていたそうです。
離婚が100%ダメだとは思わないですが(私もバツイチです)、周囲の大人たちが自己肯定感を育むような関わりをしていたならば、結果は変わっていたかもしれません。
そんなことが起きた後に見せられた市役所の体たらくだったので余計に感情が動いたのかもしれませんが、私は彼を救えなかった辛さを、将来の誰かのための活動に繋げたいと考えています。
この地域で将来的に彼のような犠牲者を出さないためにも、子育て支援を本気で取り組む必要を感じますし、そのためには批判に終始するのではなくて、まずは市役所職員を支援しなければ、事態は全く変わらないんだろうと思います。
7.終わりに
その人がその人らしく自立的に生きている地域社会は幸福度が高く、文化レベルも上がります。そんな地域を作っていって初めて、地元に残りたいという丹波市民、帰ってきたいという丹波市出身者が増え、またさらに他市町村から丹波市に移り住んでみたいという人も増え、結果的に活気のある丹波市になるんだと考えています。
だからまずは政治家になろうと立候補する自分自身がもっと自立して、もっと自分らしくブレない生き方をしないと示しがつかん、そんな思いで一心不乱に鶏小屋を造った2020年の夏でした。
さぁこれでブレない準備ができました。
とは言え一人で町を良くすることはできません。市内外問わず、私の政治活動を支援してくださる方を求めます。表立ってでも陰ながらでも構いません。同じ会に属しているから、同じ地域だから、ということではなく、私の考え方に賛同してくださる方とぜひ一緒に活動したいと考えています。関心を持たれた方は以下のメールかSNS等でメッセージください。よろしくお願いします!
maegawa.shinsuke.3@gmail.com
※このブログ記事は公職選挙法に抵触しないよう、丹波市選挙管理委員会の確認のもとで公開しています。